ニュース ニュース

ニュース

TOP > ニュース一覧 > 校長ブログ > はぎの通信 No.74(批判したけど できるのか)
2024.05.07 校長ブログ

はぎの通信 No.74(批判したけど できるのか)

 

はぎの通信 No.74 (R6. 5.7)

 

中越高等学校長 萩野 俊哉(はぎの・しゅんや)

 

批判したけど できるのか(Don’t be afraid of the risk!

 

 この日本語の表題のことばは、詩人であり、書家でもある相田みつを氏のことばです。

 

 私たちは,しきりと人の批判をしますが,批判には正しいものと正しくないものとがあります。

 

 もし,批判が物事の良い点は正当に評価する一方,欠陥についてはしっかりした根拠をもってそれを指摘し,本来どうあるべきかを論じるためのものであれば,批判は建設的な良いものとなります。正しい批判は,相手の人格を認めながら、自分の意見を率直に述べ,良い方向に向かわせるために行われなくてはなりません。

 

 そのような批判は,時として痛烈に響くものです。しかし、受け取る側にも、それが正しい批判かどうかを見極め、そうであれば批判に対して謙虚に耳を傾け、己を振り返って柔軟に修正していける姿勢が欠かせません。日本人にありがちな、批判されると自分の全人格を否定されているように感じるという心性は、自己防衛のみに走らせ、進歩を閉ざすだけだと思います。

 

 批判する側は、ある一つのことだけをとらえて、それだけで人や物事の全体を批判してしまうという愚を犯してはなりません。こうなれば、それはもはや批判とは呼べず、揚げ足取りになってしまいます。揚げ足取りは自分の姿を醜くします。また、感情で行う批判は愚痴であり、悪口にすぎません。「虫が好かない」「腹が立つ」といった理由で人の批難ばかりしている人をよく世間に見かけますが、それは気に食わぬものに難癖を付けて、視野をどんどん狭くしていることになります。いわば、自ら不幸を背負い込んでいるようなものでしょう。

 

 相田みつを氏の言う、「自分ができないのに批判する」ことも悪い批判です。批判をするためには、まず自分がそれをできなければなりません。できないのに批判するのは、竹刀を持たないで剣道の試合に臨むようなもので、何の得るところもなく、逆に痛い目にあうだけです。「ひがみ」や「ねたみ」の裏返しとすれば、あら探しだけの「中傷」になってしまいます。英語で言う“armchair critic”(自分では何もしないで、人の批判ばかりする人)になっては何の影響力もありません。「口だけ人間」として疎んじられるだけです。

 

 上で書いた、一面だけをとらえて批判することにも通じますが、その対象についてよく知らずに批判することも避けなくてはなりません。「あんな考え方はダメだ」と言うのであれば、その考え方について熟知し、どこがどうだめで、どうすれば良くなるかが示せなければ、本当の批判とは言えないでしょう。軽々しい批判は底の浅さを暴露します。

 

 もっと悪いのは、「自分ができないから批判する」ことです。自分の殻に閉じこもり、できないことにはもっともらしい理由を付けて攻撃する。これは心理学でいう一種の「自己合理化」です。こうなったら、もう進歩は望めず、ひたすら殻を硬く閉ざし、保身のみに人生を費やすことになってしまうでしょう。どんなすばらしいことでも「酸っぱいブドウ」になってしまいます。

 

 批判を恐れず行動し、広い視野で考えることが、正しい批判精神を生むのだとつくづく思います。

 

以上