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2024.04.30 校長ブログ

はぎの通信 No.73(齋藤由松先生の思い)

 

はぎの通信 No.73 (R6. 4.30)

 

中越高等学校長 萩野 俊哉(はぎの・しゅんや)

 

齋藤由松先生の思い(The thoughts of our school founder

 

 

 先日の4月24日(水)に、今年も全校集会で、本校の創立記念日の5月1日を迎えるに当たり、全校生徒のみなさんに本校の歴史について、創立当時を中心に以下のような話をしました。全体の一部ですが、ここで文字に起こして掲載します。

 

 今から130年くらい前の明治20年代の小学校の就学率(小学校へ通う子供たちの割合)は、男子7割、女子が3割程度でした。その後、明治30年代当時になると、小学校の就学率は男女とも9割を超え、小学校教員が極端に不足していました。

 

 そのような中、明治33年に長岡に県内1校だけの女子師範学校(将来、主に小学校の先生となる女性を養成する学校です)が創設されました。しかし、入学は大変困難で、その女子師範学校へ入学するための予備校的な教育をする学校が必要とされていました。

 

 その状況を見て、本校の始まりである「齋藤女学館」を開設し、将来教師となる女性の教育のために立ち上がったのが、本校の創立者・齋藤由松(さいとう・よしまつ)先生です。

 

 由松先生は明治2年(1869年)5月1日、南蒲原郡井栗村柳川(現三条市)に生まれ、11歳11か月で出身校の柳川小学校の代用教員となりました。その後、23歳で同校の校長、さらに新潟小学校、三条高等小学校、見附尋常小学校の校長などを歴任。かたわら、長岡の准教育講習所の嘱託として出張講義にも来ておられました。

 

 由松先生は、そこで、生徒の女子師範学校への入学の困難さをつぶさに御覧になられ、そして、「自己の信ずる教育をするためには、自分の学校を持たねばならぬ」と覚悟して、36歳にして退職。長岡市長町(ながちょう)(長岡駅と北長岡駅の中間くらいのところ)の民家を借りて、「齋藤女学館」を創立したのです。

 

 したがって、本校は当初は、女子師範学校および高等女学校への入学希望者、さらに小学校教員検定受験者の予備校的な教育を行う学校でありました。その「齋藤女学館」開設当時の生徒は、全校でわずか25人。

 

 これが、本校の今年119年の歴史の始まりです。

 

 よって、本校の建学の精神は、本校の原点となる由松先生の固い覚悟と信念を表す言葉、「自己の信ずる教育をするためには、自分の学校を持たねばならぬ」であります。これは、未来ある子供たちを教育する先生の育成を志すものでありました。そして、建学以後まもなく120年になろうとしている今日、この現在、その建学の精神は、校訓の「質実剛健」及び校風の「進取の精神」、「文武一如」という形に凝縮しながら、高い志と夢を持った地域の人材(リーダー)の育成を志すものとして受け継がれているのです。

 

以上